日本一周ひとり旅 300日間のキセキ のバス停小屋の中でリルケを読む、そして貸切の宿舎として使う(つづき)のリンクについて
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バス停小屋の中でリルケを読む、そして貸切の宿舎として使う(つづき)
旅の途中での食べる喜び、それは一応十分に満たされた。満腹になると同時に今度は動くのが嫌になってしまった。と言うよりも、もういい、今晩はここで一泊してしまおうという気持ちが先に立ってしまった。
この天気、降ったり止んだり、当てにならない。天候に影響されてぼくの気持もはっきりしない。
* *
夜までにはまだ時間があった。
バス停小屋の中では久しぶりに読書を始めた。時間潰しだ。いや、ここに留まっている理由を見つけた。
リルケの「若き詩人への手紙」を読む。約3時間、午後4時15分まで休憩も入れず一気に読んでしまった。
* *
リルケが強調したいこと、それは「孤独ということ」に尽きるようだ。詩人たる者は、その心を当然、内へ、奥へと向けなければならない。その結果、そうならざるを得ない自分は正に孤独を必要とする。
ジャーナリズムに持て囃されるからとか、そうした外的な理由の為に詩人になろうとするのは邪道。
良き詩人になりたいと願望するならばその人にとっては正しく逆の方向へと自分を導いて行かざるを得ない。
ただただ、自分の心に忠実になれ!
それは孤独を強いるが、それに耐えて行かなければ本当の意味での詩人にはなれない。
そして孤独の次ぎに必要なもの、それは「耐える」こと。
そこから生まれ出る言葉はもう外部のことなどに逐一構っていられるものではないだろう。
* *
肉体は食物を糧として必要とするように、この旅人の、少々荒んだ心はそれなりの精神的な糧を必要としていた。
リルケの言わんとすることを読むことで、リルケと会話をするかのように読書をすることで、そんな心の糧を少しでも得ようとしていた。
そういえば、読書中、バスもバス待ちの乗客も現れなかった。この旅人のためにそっとしておいてくれた。そう考えよう。
誰も来ないことを見越して、午後4時50分、そのバス停小屋の中、寝袋の中に入った。貸切の小屋だ。
ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875年12月4日 - 1926年12月29日)は、20世紀を代表するオーストリアの詩人、作家、評論家。独特の言語表現による詩は、ドイツ詩に新たな一面を切り開いた。20世紀のドイツ文学の代表者の一人であり、ドイツ文学史を通して見ても最高峰の詩人の一人に数えられる。また独自の宗教観や時代に対する不安や苦しみといった概念は、20世紀を象徴するようにも捉えられている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 リルケの作品集
Category 第80日 由良
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