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焼山「青森県」→ 滝ノ沢  

19××年9月28日(木)晴れ 焼山「青森県」→ 滝ノ沢   


午前6時50分、起床。予想に反して結構な距離を昨日は歩きまくってし
まった。その所為か、今朝は少々寝坊気味の目覚めだった。


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■ 素晴らしい朝食
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 直営のYHらしく、朝食は食パンと紅茶の、食べ放題の、飲み放題。いい
ね、朝食がいつもこうだともう何も言うこともない。だから黙って食べる、
飲むだけ。

 朝食を楽しむだけ。思う存分、機会を捉えて活用する。昼食を抜く積りで
食パンにはバターやジャムをこてこてと塗りたくった。

 「ちょっと、ちょっと・・・あんた、何をそんなに、、、、、」
 端で見ていた人がいたとしたらそう言われてしまいそうなほどに、合計
20枚ぐらい密かに食べただろうか。

 紅茶は7、8杯ほど飲んだだろうか。とにかく、口に合うので次ぎから次
ぎとパンの方から口の中に喜んで飛び込んで来るような具合だった。詰まり
そうになる喉を紅茶で洗い流すのであった。

 「その日、最後まで粘りに粘って、朝食のテーブルを一人で確保していた
のは誰であったか?」と問いが出れば、「それは僕であった」と答えを用意
しておこう

 「その日、最後の最後まで出発を遅らせて、YHを最後に発って行ったの
は誰か?」の問いに対しても、「何を隠そう、僕その人だった」と二つ目の
答えを用意してある。



 「頑張ってください、さよなら」
 ヘルパーの見送りに振り向き、笑顔で手を振りながらYHを後にした。半
ズボンの出で立ち、今日もまた昨日同様、多分たくさん歩かなければならな
いだろうなあ、などと予感しながら、一人坂道を下って行く。

 素晴らしい朝食が取れたので気分も浮き浮きであった。







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■ 奥入瀬渓流に沿って
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 奥入瀬渓流を遡(さかのぼ)って十和田湖まで行ってしまうのが本日、徒
歩の旅の第一章であった。

 大部分の人はバスでまずは石ケ戸(イシケド)まで行き、そこからは遊歩
道に沿って歩いて行くのだが、僕の場合はYHから直接そのまま徒歩で石ケ
戸へと向かった。午前9時40分に着く。

 10分間の休憩を取った後、渓流に沿って歩き始める。

 ここに来る人たちの目的は、まさに渓流沿いの紅葉を見に来るためだろう、
でも紅葉も10月も中葉に入らないと本格的な紅葉は見られないとのこと。
ここにまた来ることがあったら、そうしようと思ったが、多分、来ないだろ
うと自分では分かっている。

 来たときが来たときで来たとこ勝負のこの旅。うまい具合に季節が合えば、
演出効果満点ということで最大限に日本の自然を鑑賞、満喫することが出来
るのであろうが、9月も後葉に来てしまったので、紅葉はこう良くまだ時期
が熟していなかった。今度来る時には、10月の紅葉に来よう。そう思った。



 歩き進むうちに反対方向からも、やはりリュックサックを背負った旅人や
自動車に乗ったまま渓流沿いのドライブを楽しんでいる人達に出くわす。

 歩いてみるだけの価値はある渓流の美しさ。

 渓流沿いを歩き続けることに意識を集中していたのであったが、何時から
そんなことが始まったのだろうか、気がついてみると、途中からは追いつき
追い越され、追い越されつつ追いつき、そんな追っかけごっごの如きことを
何度か繰り返し合っているようでもあった。

 歩くことに意識していたのが、その対抗者に意識が移り始め、機会を捉え
て話し掛けた。それからは仲良く並んで子の口(ネノクチ)まで結局一緒に
歩きながら辿って行った。その東京からの人とは道々、色々と旅行の話しを
した。お互いに写真も撮り合った。結局、渓流沿いを4時間近く歩きまくっ
た計算になる筈だが、歩き終わった後でもそんなに長く歩いた気がしない。
まだ歩ける。そんな元気が残っていた。




 正午、十和田湖に着く。

 休屋(ヤスミヤ)まではあと12km。その人はバスで休屋へと行き、弘
前(ヒロサキ)へと抜けるとのこと。僕は歩きの専門家と自認していたから、
休屋まで歩いて行くことにした。来て見れば十和田湖それ自体はただの湖だ
と思えただけで、遊覧船に乗って湖の探勝という程でもないと思い、遊覧船
には予定を変えて乗らなかった。

 宇樽部(ウタルベ)を過ぎてからは登り坂。そして休屋までは下り坂、2
時間で12kmを踏破したことになる。足の方も思えば、快調に前へ前へと
進み出て行った。

 休屋では「乙女の像」に立ち寄る。前に回り、後に回り、じろじろと芸術
品を眺めていた。僕一人だけであった。回りには誰もいない。無言の全裸の
女性像を一人でゆっくりと眺めていた。全裸の女の人をモデルに作者はこれ
を作った。それが理解出来るわけであった。この人は誰か。いや、作者は誰
か。確か、詩人で彫刻家の、高村光太郎であった筈。

 僕が好きな詩の一つを思い出した。

     冬だ、冬だ、何処もかも冬だ。
     見渡すかぎり冬だその中を僕はゆく
     たった一人でーー
      (高村光太郎「冬の詩」)

 でも、今はもう夏ではない。今はもう秋だ。もうすぐ冬もやって来るだろ
う。僕もたった一人でゆく。旅を続ける。

 今日の宿泊予定地の西十和田YHへと先を急ぐことにした。

 午後3時35分、風も冷たくなってきた中、国道103号線に沿って歩き
続けていたが、立ち止まって、その場で長ズボンに着替えた後、前にも後に
も僕の他には誰も歩いていない、そんな一人だけの道をずんずんと歩いて行
く。これからはヒッチしなしければ到底目的地までは着けないと分かったの
で、来る車ごとに手を挙げるが、全く思惑とは裏腹に素通りばっかりだ。

 それでは和井内(ワイナイ)までとにかく歩いて行ってしまえ! だが、
そこを過ぎてからは滝の沢(タキノサワ)へと向かって行くという車が全然
来ない。だから歩かなければならなかった。

 何時の間にか、滝の沢が目的地にすり替わっていた。が、着けるだろうか。
歩いて行って着けるだろうか。登り坂をどんどんと歩いて行った。しかし、
疲れを感じ始めてきたのも事実。途中、和井内に十和田YHがあったが、ま
だまだ先へと行ける、と自分に言い聞かせて、急き立てて、何の躊躇もなく
通過してしまった。






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■ 「滝の沢展望所」の階段下で寝る
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 2台目の乗用車、この辺をぶらぶらとドライブしていたそうだ。この車に
拾われ、滝の沢展望所までどうにか連れて来て貰った。午後5時6分に着く。

 十和田湖の周りを殆ど徒歩で半周ちょっと以上したことになる。何km歩
いたか。相当な距離になるだろう。

 車が止まった所がそのまま泊った所であった。寝た所、寝入ろうとした所
とも言えよう。滝の沢展望所。その階段、その下でだった。土台のコンクリ
ートの上に直に寝袋を敷き、多分冬眠する熊の如く寝袋の中、うずくまるよ
うに寝転がっていた。



 夜中もそうだったのだろう。朝方、非常に寒かった。何時までも目を覚ま
していたように記憶する。

 夏は終わったのに、外で寝ることについて、まだ夏の感覚が抜けきってい
なかったのだ。3枚着ても寒さが背中から凍みてくる。

 目が覚めたまま、寝袋から顔だけを出して夜空を見上げていた。

 星がきれいだ。

 僕を除いてはこんな所で一夜を過ごす人など誰もいないに違いない。そん
なことさえ思い付くこともいないだろう。でも、僕は思いつき実行してしま
っていた。十和田湖を見下ろす場所に横たわっていた。寝入ろうとしていた。


 思い返せば、一日中、歩いていた。寝転がっていても、まるで相変わらず
歩き続けているかのような錯覚に陥るのであった。


つづく→ 滝沢展望台下で野宿

日本一周ひとり旅 300日間のキセキ の焼山「青森県」→ 滝ノ沢  のリンクについて

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