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風の中の女、忽然として現れる(第61日、つづき1)

10月5日(木)曇り後うす曇   

■風の中の、女の人

 午前8時45分、小屋を出る。直ぐ戸賀湾が目に入ってきた。
 湾沿いの道路、弧を描くようにぐるりと湾曲した道路沿いを歩いて行く。

 海からの風なのか、それとも陸地からの吹き降ろしの風なのか。
とにかく強い。別に気にすることもなかったが、長めの髪は乱れっぱなしの、荒れ放題。
乱れ髪。今は亡き、ある女性の作品タイトルを想起させる。


 歩き続けていると、前方、
おやっ、あの女の人、何をしているのだろう?

 岸壁にだるそうに背を寄せ掛け、
ぼくが近づいて来るのを何の怖じける風もなく、
いな寧ろ大胆に遠慮もなくぼくの方に目をじっと据えて、
 ぼくがやってきて話し掛けるのを今か今かと待ち構えているのか。

 それともどうせ近づいてくるのだからと、
 ゆっくりと気長に待って見ようということなのか。
 見透かすような視線。

 近くに来て見ると彼女の長い髪も風のいたずらのなすがまま乱れ踊っている。
 乱れ髪。そう、与謝野晶子

 良く見ると体格も立派だ。外国の女優のような彫の深い容姿。
 無言。

 彼女の方を見るともなしに眺めながら、こちらも無言。

 通り過ぎて行こうとしている。

 彼女は後ろへと残った。しばらくの間、
 何か魅了されるものを彼女の立ち姿に余韻を感じた。

 後を振り返って、まだそこに立ったままでいるか
 確かめて見ようかとも思ったが思い止まった。



          *    *

 日本映画、東北編の一シーンを撮っていたのではなかったのか。

 撮影カメラが回っている。

 ぼくは映画の中の主人公になったような気分を味わっていた。


 男はその女に近づき、話し掛けた。

 「元気だったか?」

 「随分と遅かったわね」

 「ああ」

 「たくさん稼いでこれたの?」

 「まあな」

 「お前の方は?」

 「毎日、お客さん相手で疲れるわ」

 「今晩は久しぶりにおれが相手だ」

 近くにある温泉旅館に雇われの身の女、
 仕事の合間、息抜きに外の空気に当たろうと海岸沿いに出て来ていた。

 その男、定着を嫌い、日本全国、転々としながら自分の性に合った土地を探し求めて生きている。

 今日久しぶりに元の場所に戻って来た。 




 ■水族館まで歩いて来てしまった

 午前9時40分、水族館に着く。

 海岸のそばにあり、風による波飛沫が駐車場全体を濡らしてしまいそうな勢いだ。

 観光バスが何台も発着し、観光客はそのまま水族館へ。
 サメの口の中へと飲み込まれて行く。

 こんなにも風の強い中、そんなことをも物ともせずカメラのシャッターを切る人が何人かいた。

 午前11時になったら出発すると自分で決めていたので、
 ちょうどその時刻に坂道を一人で登って行く。


 とにかくこの辺を、この時期に、歩いて行きましょう、
 というそんな悠長な人など誰一人としていない。

 だから、いつものように若者はただ一人で 歩む。
 若者は一人で出発するし、若者は一人で歩きつづける。

 君の行く道は遠く、当て所ない。君は一人である場所に着く。
 そばに誰かが一緒にいるわけではない。

 そんな時、君は何とも言い表しがたい気分になっている。
 これを孤独感というのか? 

 君は耐えている。自然と自分とを無意識にも比較している。

 大いなる自然の前に、小なる自分の存在を知らず知らずと感じている。
 でも、それが何故か堪らなく良い。 
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