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車はどうして、、?(第58日、つづき1)

19××年10月2日(月)晴れ

■車は停まらない

 午前6時55分、国道7号線へと出る。道路沿いには家並みもなく、ただただ畑が続くだけ。だからヒッチもしやすい、しかも朝方である。そういう有利な事情を思い合わせながら、早速手を挙げているのだが、止まった車は一台もない。皆、申し合わせたように通過だ。

 畜生!(失礼!) 止まってくれよ! 

 「駄目駄目、駄目だよ!」といった風に露骨にも手をわざわざ振るジェスチャーをしながら通過して行く車もあった。

 ああ、またも、だ。「駄目だよ」と言っているのか、あの手の振り方、そしてあの笑顔は、それとも苦笑いか。

 それとも「頑張ってね、またねえ〜、ごめんねえ〜」とでも言っているのか、あの手の振り様は。

 どっちなのかはっきりしてくれ。

 それにしても、どうして止まらんのか!? 



 北海道では意図も簡単に止まった。ここは北海道ではない? 本州に再び渡って来て、痛切に感じること、それはちょっとやそっとでは車は止まらない。

 十和田湖周辺を歩き続けていたことが思い出された。あれやこれやと断片を思い繋ぎ合わせると、悲観的な気持ちになってしまう。こんなことでは東北一周の旅はどうなることやら、こんな調子で旅を続けてゆくことになるのだろうか。解答がはっきりしない疑問が残る。

 午前7時40分、石川を通過。両側は家並が続くから、そして駐車禁止ともなっているから、沿道を歩いて行くが、とうとう午前8時には大鰐(オオワニ)まで、あと4kmの地点までやって来てしまった。途中、何度も容易にヒッチできそうな地点がったのに、全部を通過しながら来てしまった。

 目の前、前方には何処までも、いや何時までも終るともない国道が続いている。気が遠くなりそうだ。

 車は止まらない。でも歩かなければ目的地まで行けない。そうと分かっているから歩き続ける。しかし、疲れる。歩くことが疲れるのではなく、長時間歩くことが疲れるのだ。

 肩の荷が重いとも思う。重いは思い。思いは重い。

 もう駄目だ、とも思う。これではもう駄目だ、悲観の材料が肩の上、背中に積み重なる。かくしてこの旅は破綻するのか!?

 「汽車に乗って家に帰ろうか」

 ちらっとそんな思いが湧いた。
 ――ところで、家に一番近い所から乗りたいが、駅としては何処になるのだろう。

 ――でも惜しいじゃないか。折角決めた東北一周! 途中で諦めなければならないとは。

 「さっさと汽車に乗って帰ろう」

 またも、同じ思いが湧いてくる。今度は少々本気になって思い始めている。

 その思いに触発されて真剣になって自分の、今の置かれている状況を考えた。日本版ハムレットか。

  帰ろうか、帰るまいか。

 日本一周の旅を中断してしまった結果を想像した。中断して悔やんでいる、後悔している自分の姿が浮かんでくる。後悔するなら最初から後悔しないように続けてゆけば良いのだ。結果を先取りして心は変わった。


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日本一周ひとり旅 300日間のキセキ の車はどうして、、?(第58日、つづき1)のリンクについて

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