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りんご園内の納屋に一泊と相成る(第57日、つづき)

旅の重さ DVD

19××年10月1日(日)曇り
          
■弘前公園にまたも姿を現す

 ベンチに腰を降ろす。目の前、水上にはボートが何隻も行き交う。そうか、今日は日曜日なのだ。行楽の人達が多い。暫く休憩をした後、赤橋を渡って、昨日の場所、岩木山が良く眺められる広々とした場所に出てくる。

 と、何と人の多いことか! 

 家族連れ、恋人達,子供達、観光客達、色々と地元そして近辺から集まって来たのだろう。昼時でもあったためか誠に賑やかである。


      *    *

 芝生の上に背中の荷を下ろし、この身も横たえる。

 再び弘前公園に来てしまった。と言っても来てしまったことを悔やんでいるわけではない。気持ちが開放されるような、公園がこの町には存在するのが羨ましい。旅する人の感覚でそう思う。もし、地元に住んでいてここに来ていたとしたら、別の思いを持っただろう。そこに住んでいるのと、どこからかそこにやって来るのとでは受ける印象が異なる筈だ。それでもここにいると落ち着く。

 目を閉じた。何も特別のことを考えていなかった。ただ、こうして一人で芝生の上に寝転び、こうした旅をやっている、この身を感じている。

 今までの旅先での行動、自分の足跡はどんなものだったろうと後ほどこうして回顧出来る。楽しい旅だったと言えるのか。 「いつも楽しい!」と断言出来る旅だけを続けていたとは言えない。尤も楽しいことだけを求めて旅を続けていたわけでもな い。臨機応変にその時々の状況に言わば準備もなしに体ごとぶつかって行った。


 後方では恋人同士、歌を歌ったり愉しげに無邪気に戯れたりしている。その近くには他の人達もいるということ、つまりぼくが旅人としての特別な感覚を持ってやって来ているということは眼中にないし、知りようもないだろう。

 地元に住む人たちということで、まあ御自由に、勝手にしてやってくださいだ。でもその女の人が話しているのを聞いていない振りして耳を傍立てていると、土地の方言のためか柔らかく響き、その話す言葉がこの心の中にスポンジのようにすんなりと吸収されて行くようだ。





■大勢の中の自分一人を見出す

 そろそろ風も出て来た。冷たく感じる。午後2時後、岩木山もこれで見納めだ、さあ、これから大館へでも行こうかと思い、風に促されるかのように重い腰を上げる。

 左側には弘前城を見ながら、昨日公園に入って来る時に通った同じ道を歩きながら、国道7号線へと出て行けるようにと自分自身を御するかのように歩を進める。

 と、繁華街を歩いている自分を見出した。こういう所に来ると、また別の意味で心が落ち着くから不思議だ。一人きりの切り離された自分ではなく、自分も同じ人類の一人に属していると感じて心が安心する。人がたくさん蠢(うごめ)いている。何をしているのかは一人一人、分からないが、何かが活動していることを発見した時の喜び。

 一人で旅をしていると、一度に多くの人達に出会うということは殆ど皆無だ。一人でいることが長く続くと、もうこの辺で違った環境に自分を置いて見たいという心が働くらしい。



 中核派のシンパがこんな所(都会から遠く離れた、地方の東北ということ)のにもいるのか。ハンドマイクでがなり立てている。誰も演説を聴いている人などいないのに。演説の練習でもやっているのか。少々、この城下町の雰囲気に合わないよ。浮き上がってしまっている。興醒めだ。

 行き交う女性たちの背の高いことが目立つ。男のぼくよりも大きい女性たちだ。ブルージーンズを上手く履きこなしている。





■りんご園の小屋の中で

 午後2時半には公園を出て、それからは国道7号線に沿って歩き続けていた。道路は両側、家屋の列が出来ていて、しかも道路の幅が狭くヒッチしようとも出来難い。だから家並みが切れるところまで歩いて行こうと心を奮い立たせて進むのだが、そして適当と思われる場所では手を挙げてヒッチの意思表示をするのだが、全部素通りだ。

 もう2時間以上歩いている。相変わらず車は捕まらない。諦めてしまっていた。歩き疲れてしまってもいた。


 そうだ、今晩の宿だ。寝場所を探さなければならない。そう思い出したところ、神社へと通じる道が逸れている。その分岐点に立っている自分。どうしようか。行ってみるか。行った。見たが寝られるような所ではなかった。

 実は途中、リンゴ園の中に小屋がぽつんと置いてあるかのように見て取れた。と同時に今晩の宿のようにも見えた。いや、そのように見てしまった。寝かして貰おう。いや、あれは今晩の宿だ。気後れすることもなく、その中で泊ることに直ぐに決めてしまった。


 午後5時頃、お目当ての場所にやって来た。小屋の中へと身を移すと中は暗く、何をするということでもない、直ぐに寝袋を広げ、敷き、仰向けになる。と同時に激しい雷雨だ。まるで ぼくの寝場所確定を待っていたかの如く降り出した。頭上、というよりも寝転がっていたぼくの顔の上、 真上で雷が怒っているようだ。

 ――おい、お若いの、そんな狭っ苦しい所で何をしちょるのか? 

 激しい稲光が暗闇を過ぎり、一瞬、小屋の中が明るくなった。
 雷鳴が轟く。


 雨が降り続く音を耳にしながらも、その間、我が寝入る前の儀式、慰安でもある――携帯ラジオを添い寝させるかのように 耳元に置いて聞いていたが、弘前だけが雷雨に見舞われているようだった。

 今晩も何とか寝場所を確保出来たのだった。


新日本紀行/冨田勲の音楽

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