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寝床の中での自問自答(第50日、つづき3)

19××年11月4日(土)薄曇



「そろそろ寝たら・・・・・」  

 お呼びが掛かった。

 敷布団が何と、3枚! 丹前、掛け布団、毛布と豪華な床だ。


 床に入ったのは午後10時10分頃だったが、就寝前に全く久しぶりに風呂に入ったことで全身の血液の循環が活発になり、しかも床の中、何故か蒸し暑かったことも手伝ってか、暫くの間、寝付かれない。

 こうして今、この寝床に入っている自分とは一体何者なのだろうか。ふっと考え始め、この点を巡って思いがぐるぐると回転しているのがこめかみ当たりが活発なことで分かる。この一つの考えに取付かれてしまって寝入れない。


 有り得ないことが起こってしまっている、と興奮していた。


 この部屋には自分一人が寝かせてもらって、家の中、別の場所ではもう静かに寝息を立てているかも知れない親切な人たちのことが思いやられる。


 玄関から家の中に一緒に入って来た時に教頭先生が言われたことが思い出される。


 「この家に入ったからには私の言うなりにして下さい。」

 一般の民家、家庭に泊るなんてこと、しかも見ず知らずの人を泊めるということ、そんなことは有り得ない。そんな自分なりの都会的な(?)考えを持っていたものだから、それとは逆のことが自分の身に起こってしまったので、いや、いま正に起こっているということで初めは驚き、ウソではないのか、あり得ないことだ、あり得ない事だ、これはあり得ないことだ。

 そんなことがこんな自分に起こっても良いのであろうか。
 暫く本当に悩む。

 教頭先生の御家族にとっては有り難迷惑ではなかったのだろうか。

 
 悩んでいても仕方ない。既にもうこの家の中に居り、色々とお世話を受けている最中なのだから。こうなったら成るがままに身を任せるしかない。

 「言うなりにしてください」

  そうだ、そうだ、仰るとおりにすれば良いのだ。

 
 誰であるのかも知らない、分からない、どこの馬の骨とも分からない、以前何処かで一度も会ったこともないし、そんな見ず知らずの人を、一体全体どんな人なのかも知らないのに、それなのに、それなのに、それなのに、結果的には何の躊躇もなく一泊させて上げる。

 教頭先生は太っ腹な人なのだ。

 一泊させて頂いた本人にとってはそれがちょっと意外に感じられた。この世に、この日本にこんなことって有り得るのだろうか。

 有り得る、らしい。
 今までの考え方を緊急に訂正しなければならない。


 一泊を提供する方にしてみれば、そんなこと、別に取り立てて問題にすることでも何でもない、当然なことだ、困っている時にはお互い様ですと考えているのかも知れない。


 そういうことにびっくりしている君! 

 そう、君のことだよ!

 それを特に問題視している君の方が、おかしいのだよ、

 そんな風に言われてしまうかもしれない。




 こういう旅をしていて、旅先でこんなにも親切を受けると、本当に親切の有り難味を感じる。受けた親切を何らかの形でお返ししたい。そう思う。

 この長い旅にはじめて出て、北海道へと向けて東北を北上していたあの頃の、同じ東北――、 お寺に、神社に頼みに行った、その頃の自分のことを思い出してもいた。断られてばっかりいた。

 北海道一周の旅を終えて、ひと味違う自分になっていたということなのだろうか。

 人を信頼し、人に信頼される素直な自分になっていたのだろうか。


 そうだ、言うなりに従っていれば良いのだ。


 相変わらず戸惑いに決着がつかない。消化し切れない腹をさすりながらも、勝手に好意的に納得して、大船に乗ったような気持ち、その船底深き床に身を横たえたまま知らぬ間に寝入ってしまったようだ。 

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